1983年(昭和58年)7月15日、任天堂より家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータ(Family Computer)が発売された。
任天堂というメーカー
当時、私も夢中で遊んだ「ファミコン」。
7月15日はファミコンの誕生日ということで、私の思い出とともにファミコンについて話したいと思う。
当時は知らなかったファミコンの事、大人になるまでの間にたくさんの事実を知りました。
それまで、任天堂といえば「花札」や「トランプ」といった、どちらかといえば地味な商品を販売していた玩具メーカー。
とは言え、もともとゲーム関連の事業を行なっていた任天堂はテレビゲーム市場に目をつけていて、1970年代頃からゲーム関連の事業を行うようになり、1978年には業務用のゲーム機、いわゆるアーケード機の販売を開始するようになる。
そして1980年には市場の拡大を目指し、携帯型ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」の発売を開始。
ゲーム&ウォッチは1988年までに、およそ70種類を展開し、のべ4,800万台以上を販売するヒット商品となった。
私もいくつか持っていた。
当時の少年たちは自分の持っているゲーム&ウォッチ(当時はゲームウォッチと呼ばれていた)を持ち寄り、お互いに交換して遊んでいたので、誰が何を持っているかの情報交換も重要だったし、2画面などの少し高めのゲーム&ウォッチなどは、一種のステータスにもなっていた。
この中のタイトルに「ドンキーコング」があった。
ドンキーコングは1981年にアーケード機で発表されており、ゲーム&ウオッチに移植されたのは1982年のこと。
アーケード版で発表されていたドンキーコングには、のちにコングと一緒に任天堂を代表するキャラクターとなった「マリオ」も登場している。
任天堂はゲーム&ウォッチの成功で手に入れた資金を元手に、家庭でもアーケード版並みのゲームが遊べるゲーム機の開発を始めた。
それが「ファミリーコンピュータ」。
ファミリーコンピュータは1983年に、「ドンキーコング」「ドンキーコングJR.」「ポパイ」と同時に発売された。
家庭用ゲーム機の金字塔「ファミリーコンピュータ」
ファミリーコンピュータは当時の家庭用ゲーム機としては破格の性能を持ち合わせており、コスト面と性能面のバランスが非常によかった。
またROMカセットをイジェクトするなどのギミックも、当時の子供達のハートをワシづかみした。
家で初めてゲームをプレイした時、もう何も見えなくなるくらいのめり込んだのを覚えている。
目をつぶっても、ずっとまぶたの裏でゲームをプレイしていた。
本当に楽しかった。
でも当時、ゲームをする上で様々な障害があった。
そのひとつは「チャンネル争い」。
当時はテレビの台数も少なく一家に一台というのが当たり前。
ゲームもチャンネル争いの一端にあった。
またゲームをすると「目が悪くなる」などという身体的なものから、「ブラウン管が焼きつく」「画面の色が悪くなる」など機械的なもの。
「成績が悪く」「背が伸びない」など支離滅裂な理由までもが障害となっていた。
そのほかにも微かな振動でもバグってしまったり、猫だったり犬だったり、年下の兄弟だったりがリセットボタンを押してしまったりなどというトラブルも非常に多かった。
それでもファミコンの存在は衝撃的だった。
ご飯も忘れてずっとプレイしたりした。
まるで自分がF1レーサーになった気分でサーキットを走っていた。
書くのが面倒でドラクエの「ふっかつのじゅもん」を暗記したりした。
ハドソン主催の「全国キャラバン」に憧れて、必死で連射したりした。
ファミコン漫画のありえない設定や、ありえない技にも憧れた。
ゲームのCMすら楽しみだった。
大人になった今、当時のゲームをプレイすると記憶が蘇ってくる。
毎日がキラキラと輝いていた子供時代。
現在では、ゲームが存在しない世界が想像もつかないほど生活に浸透している。
その礎を築いたのは、間違いなく任天堂のファミリーコンピュータと言えよう。